百道(ももち)から

考えの切れっぱし

ブログ2日目。近藤雄生さんの「吃音」など。

 朝散歩しながら帰ったら何を書こうかな、いや日記なんだからまだ時間が早いだろ、なんて、一人にやにやしながら思っていた一昨日だった。しかしその日の午後に光回線を入れたばっかりに、ネットがつながらなくなっちゃって、あーらら、書けないじゃん、となっちゃった。でもつまづくなら最初のほうがいいからね。なんて、こんな調子で書いていくのが私らしくていいや。

 近藤雄生さんの本を読んでいる。最初に取り組んだ本は「旅に出よう」(岩波ジュニア新書)。オーストラリアで小さな国をつくったおじさんに会い、東南アジアでは戦後に残留を選択したと思われる日本人の話を聞いて考察を重ねるなど、従来のガイドブックとは違う世界案内をしてくれている。皆、自分で選んだり、選ばされたりして、時には思ってもない環境に翻弄されながらも道を一歩ずつ歩いている。それは同じく毎日あくせくして生きている私たちと似たところがある。皆の姿は近藤さんによってくっきりと浮かびあがり、世界は広いのだなと改めて思わされる。

 ルポが現代のひとりの日本人という近藤さんの視点から、ずっとぶれないところもさすがだと思った。変に肩入れすることなく、かといってビビって距離を置きすぎない。近藤さんが的確に照らしてくれるから、読む側にしっかりと伝わってくるものがある。それは好奇心を満たすものもあれば、今知らなくてはいけないのだと感じるものもある。特にあっぱれだなと思ったのはインドネシア捕鯨のお話。船に乗ってから銛でイルカを捕まえるところまではすごく好きだ。近藤さんには無断で書写させていただいた。

 今読んでいるのは次の本で、「吃音」(新潮社)。吃音は一生かけてミュニケーションの妨げとなると知り、ハッとした。学校だけでなく、駅や電車で、当然会社に入ってからも課題をつきつけてくる。今まであまり知られてなかったこの問題を、そっと社会に投げ落としてくれた。この本を通じて同じ社会の一員である私たちはきっと、意識を変えられると期待している。ページはまだ序盤。どうやってこの課題に切り込んでいくのが読み進むのが楽しみでならない。きっとそこには近藤さんらしい優しい眼差しがあるだろうから、そこもうれしい。