百道(ももち)から

考えの切れっぱし

懐かしい方々と会えて

先週の金曜日は、懐かしい方々と会うパーティでした。九州ウォーカー発刊25周年を記念してのパーティです。関係者の方々も含めて参加者は60数名。これだけの会をまとめるのは大変だったかと思います。主催いただいた方には改めてお礼を申し上げたいです。

ビアグラスを片手にずーっと立って誰かと喋っていました。体感時間は30分ぐらい。それぐらい楽しかった。お声をかけるのを躊躇したこともありましたし、会の前日には、ご無沙汰すぎる面々とお会いすることに少し緊張もしました。勇気を出してお声をかけて、今、本当によかったと思っています。だって20年ぶりにお会いする方もたくさんいたのですもの。

あの時代、別に何があったわけではありません。いつも時間がなくて、バタバタしていて、どの企画も大変で、今のように落ち着いて眺める瞬間なんて一瞬もなかったあの日。それでも、リサーチ中も、取材中も、原稿やマップ原稿を作るときも読んでくれる読者のことをずっと考えていました。もしかすると青春だったのかもしれません。フォーエバーだな。みなさん、ありがとうございます。

 

『白い馬をさがせ』を読んで

毎晩、眠たい夜は早口になりながら、ときにはあくびをしながら一章ずつ読み、とうとう最後の16章まで読み終えました。子どもが先に寝ちゃって読めない日もあったから20日ぐらいはかかったかな。

散歩中に引越し準備のトラックの荷台にうっかり乗ってしまい、遠くに連れていかれて迷子になった犬のおうちを探すため、シャム猫赤毛の猫、人間に鉄砲を向けられて方角に自信がなくなった鳩が共に旅するお話です。家で待っているのは2人姉妹のおばあちゃん。目印は家の近くの丘にある、白い馬が描かれた看板、というわけです。

動物たちのキャラクターの描き方がよかったです。日本のそれとは少し違って、擬人化するのだけれど人間臭くない。犬と猫が野うさぎを狩って食べたり、動物に襲われたりと、自然界に相容れない相手はしっかりと描いている。動物や自然界に対する敬意を見た気がしました。

英国・ロンドンを舞台に描かれた作品で実際の地名や名所なども出てきてなかなかおもしろい。小学校5・6年のお子さんだったらすいすい読めるんじゃないかな。動物たちの成長物語でもあるので、読書会にも向いているかも知れません。

 

 

 

辻山良雄著「本屋、はじめました」を読んで

新聞書評でこの本の作家の辻山良雄さんと、経営する書店の事を知り著作を読むにいたった。本を誰から選んでもらうか、どうやって出合うかというのは重要です。ある日、何気なく読んでいた記事の、辻山さんの選書がピタリときて、何か親和性のようなものを勝手に感じ、ほかにお書きになられたものも読みたいと思い、手にとりました。

辻山さんがなぜ本の仕事に関わることになり、ご自分の書店を開くことになったか、また開くまでの経緯や思想などが実直に、奇をてらうこともなく書かれています。途中から「これから書店を始める人向け」に書いているのかな?と思われる部分もありましたが、本の中では否定はされています。

本好きな人、書店経営を目指す人、一経営者として、など読む角度によって、読みどころはいろいろです。だからといって話がばらけていることはありません。2016年に開業されたTitleという一本の大きな木があって、それをこっちの枝葉によじ登ってみたり、根っこまでもぐったりしたながら知っていく感覚でした。こういう本の送り手がいらっしゃることがうれしくて、読後は多幸感に包まれました。

辻山さんは福岡市天神にあったZ・SIDE内のリブロにお勤めだったそう。福岡市民ならウッとくるほどこの施設の名前が懐かしい。山本容子さんのイラストが描かれたショッピングバッグが洗練されてたなあ。デパートがまだ夢を売っていた時代でしょうか。ちょうどこの週末は九州ウォーカー25周年記念パーティ(という名前の飲み会)があったこともあり、余計にセンチメンタルにもなりました。

 

昨日も今日も

昨日も今日も、お手伝いに行ってきた。どちらもとあるイベントの受付の担当。間違いをしないか、きちんと物事を運べるか。昔は自信満々だった気がするけど、年を追うごとに怪しくなって、心配が増える。最近は、だいたい私以外にきちんと立ち回れる方がいらっしゃって、その方を羨望の眼差しで見つめていたりする。社会人として本当だめ、私、と少しうなだれる。もちろんお役に立たなくては何の意味もないし、ご迷惑なのだけれど、社会と積極的に関わっていくことは私の学びであり、何からかのかはわからないがリハビリだったりする。

『ぼくらの戦争なんだぜ』を読んで

戦争をどう捉えるか、考え続ける本である。書いている源一郎さんご本人が、発見したところもあり、大いに迷っているところもあり、前のめりで探索している。凄みをもって。読む私たちも読みながら一緒に考え続ける。

フランスとドイツの教科書は正直、驚いた。少なくとも私はこういう風に自分たちの祖先がおこしたことについて習ってはいない。

野戦詩集、戦争の真っ只中で制作をしていた太宰治、従軍作家であった林芙美子が書いたもの。到底、一度には消化しきれないことが並んでいる。

源一郎さんは悩んでいる途中だから、考えがまとまっていないところがやはりあって、同じ章のなかでも考えがあっちこっちに向いていることがあって。でもそのあっち、とこっち に私たちが考える種がある。この本にはそんな種がいっぱい。これで1,200円とか。安すぎます。

新しさと定番

映画や小説に触れるときは、いつも新しさを求める。自分がつくるものもそう。新しさがあって、誰かに伝えなくてはおれない、そんな羽詰まった感じがなければ、モノを世に送り出す意味はないと思う。

しかし自分という部屋のなかには、安心できるようなものもほしい。定番というやつ。大好きな作家の本につい手を伸ばす、食事をとるならいつものあそこで、といった感じで。出張から家に帰って布団に入ると落ち着くのにも似ている。定番と新しさ。

この配分は人によって違うのだろう。新しさが多いほうがいい人、定番が多いほうが落ち着く人、それぞれ違いそうだ。もしかすると年齢や時期、環境によって配分も変わるのかもしれない。これらを認知できれば、生きやすくなる気がする。

私はといえば、定番よりも新しさを好む。でも実際は定番アイテムで周囲を安定させた上で、ときどき新しいものを出し入れするような、いいとこ取りを意識的にやっていけたらいいのになと思う。

定番が増えれば、安定するから暮らしやすくなるのかも。自分らしい定番の服を決めておくのものこの部類。しかし刺激は少ないし、人に話すネタもなくなる。なんだろう。この文章を書いているとさっきから、制服や軍服、朴訥なおじさんのビジュアルが浮かんでくる。そういったことなのかも知れない。また考えよう。

機嫌がいいということ

現場の雰囲気は大事だ。明るく、前向きなほうがいい。どちらかというと少しぐらい浮かれたぐらいがいい。そうするほうがいろんなことがキャッチできる。私の年なら、自分が雰囲気を悪くしているかも知れないということに、気づくことかも大事かもしれない。その点でいえば、相手に気を遣わせない、そういうのが一番大事なのかも。機嫌よくいきたい。