百道(ももち)から

考えの切れっぱし

ざわざわと

心がざわざわしている。落ち着かない。何かに対してまっすぐ向かっていけていない。大丈夫か。なんだろう。10 年という節目を迎えた。ただの数字かもしれないけれど、私がなんとなく決めたことで、彼女の人生は決まってしまった。今さらだけれどよかったんだろうか。なんだろう。何のせいだろう。何のせいかよくわからないから対策ができない。思い切れない自分がいる。相変わらず流されている。高橋源一郎著『ぼくらの戦争なんだぜ』を読み始める。

『さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!』を読んで

さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!』を読みました。映画『さかなの子』を見逃してしまって、悲しんでいる私にもととなったような本があるよ、とある方が教えてくれたのでした。

さかなクンの幼少期からタレントとしてまた、東京海洋大学客員准教授となるまでが書かれているのですが、まあ、すごい。タコに初めて出会って感激したことから始まって、カワハギに夢中になったり、学校でカブトガニを飼育したりと、のめり込み方の半端なさ。それよりも輪をかけてすごいのは、さかなクンのお母さん。子どもが好きなことなら、と止めない。止めないどころか学校の先生からの進言にも「これがうちの子です」というような勢いでやり返す。高い水槽を自費で買う、畳が腐っても叱らない。こんなお母さん、いるんだなあ。思わず、私もこんな母親になりかたったよ、といいたくなりました。ちょうどいろんなことで、ビシバシと子を叱り続けていた時期でした。私にとってちょうどいいクスリとなりました。

 

『沖縄戦下の米日心理作戦』を読んで

大田昌秀著『沖縄戦下の米日心理作戦』(岩波書店)を読んだ。

心理作戦とは爆撃などによる攻撃と並行して行われる攻撃を指す。ビラやラジオ放送、新聞などを使い、敵国の兵隊に向けて白旗を挙げ、捕虜になるよう促すのを目的とすることだ。民間人には戦意を弱めたり、特に沖縄戦においてはいちはやく安全なところに逃げるよう伝達していた。この本ではアメリカの心理作戦と日本のそれが描かれるが、圧倒的にアメリカの卓越した作戦、手法が印象に残る。

この本に興味をもったのは沖縄戦について書かれたある資料に<戦時下にアメリカ側は日本が沖縄を昔から差別的に扱っていることを認知していて、それをうまく利用した>と書いてあったことだ。<沖縄を差別している>という認識は、それを書いた日本人の意向が濃く出たものかもしれないという懸念はあったが、確かめてみたかった。日本から沖縄への差別的な姿勢は私はあると思っている。けれど日本人の多くはおそらく意識にのぼったことはないのではないか。それをアメリカでは掌握している、その点が興味深かった。

沖縄県知事で、沖縄戦では鉄血勤皇し反対の一員であり、戦後は米軍統治下で「米留組」(アメリカに留学した)ともなった大田さんの書である。大田さんはアメリカで機密文書にあたったほか、沖縄公文書館の設立にも寄与した方だ。沖縄の人が語っている点で上記と同じともいえるけれど、そこは一旦置いておいて、該当する記述が多くあったことを記しておきたい。

現代の暴力

自分たちが歩いている道が

どこへ向かっているか

未来はわからない

けれど

気づいたら戦争が来ていたとは

いいたくない

いえやしないから

今をしっかりとみつめる

過去を掘り返して

つぶさにみて

埋み火のように潜むものがあればひっぱりだして

日の本にだしてみつめる

 

そうでなければ

無駄にしてしまう

無念の涙と血を

 

無理解 

無関心 

無反応 

無視

これらは暴力だ

その暴力はひいては己を苦しめる

 

推敲、万歳

さっきから推敲をずっとしていた。私の場合、原稿の書き方は毎度違うのだけれど、今回は推敲からが長い。初稿の完成度が低かったということだ。ふと、いとうせいこうさんの言葉を思い出した。「今、生き残っているのは推敲をし続けた人だ」と、ある講座でおっしゃっていたのだ。のけぞりそうになったのを思い出す。裏を返せば推敲を懸命にやっていれば生き残れるということか。

4つ前の原稿なんて、今振り返れば全然できてなかった。ほぼできてる風に思ってたけど。そしてまたここにきて、どこが問題かが見えてきて、まだ解決策が見つからない。あやとりの糸がこんがらがっていて、その部分は見えるのだけど、どうしていいかわからない。すーっと筋が通る、ここまでが長い道のりだ。でも推敲は手放せない。原稿に食らいついて決して、すぐに離してはならない。

できあがりの精度、完成度については、最近の環境に関係するし、波もある。今日の私でいうと、最近、文字数の設定がゆるい原稿をよく書いていたから、その庭から抜け出せていないのかも。意識的にビシッといける仕組みをつくっていかないと。と、内省してみました。

いとうせいこうさんは「初稿なんて、目を細めて眠りながら書いてもいいぐらい。推敲からが執筆」みたいなことをおっしゃっていた。今日は少しその境地に足を踏み入れた気がしている。

句会に呼んでいただいて

昨夜は私が俳句を始めるきっかけとなった、俳句会の25周年句会でした。10年ほど離れているのですが、呼んでいただけて光栄でした。

俳句の季語にひかれて、俳句をやってみたいなと思っていたのが15年ほど前。先輩のコピーライターさんとたまたまお茶を飲んでたときのことです。最後に改めていただいた名刺に水の波紋があって、これってなんですか?と尋ねたのがきっかけでした。先輩は自分の俳号(俳句をやるときのペンネームのようなもの)にちなんでる、とおっしゃって、私も興味あるんです!と前のめりになって紹介していただいたのでした。

以来、まったく詠むことができない期間もありつつ、ある方のお陰で復活し、3年ほど。相変わらず俳句は難しいです。でも韻を踏むの美しさ、間、余韻、多くを語らず言葉の響きあいで何かを語るところは、私が目指す制作姿勢ともぴたりあっている気がするのです。おこがましいですけど。

昨日先生がおっしゃったことを忘備録として記録しておきます。句会ではいいね!といって選んだ人が、なぜその句がよいと思ったのかの話をします。これを講評といいますが、先生は「作者が何をきっかけに、何を思って詠んだか」をもっと話すべきだとおっしゃいました。俳句は出した以上、読者のもので語るべきではないと思っていた私にとって、目から鱗でした。おそらくその意味は論議し、改作するのも句の魅力、というように解釈しました。これぞまさしく、車座で行う文芸であり、昨夜の宴の雰囲気そのものでした。俳句のいいところをまた発見した気がしました。

『秘密の森の、その向こう』

『燃ゆる女の肖像』が大好きで、最新作ということで足を運びました。寝不足だったこともあり、途中すみません、眠くなるところもあったのだけどそれぐらい心地が良い映画。音楽も後半までずっとなくサイレントな中で、まるで絵画のような木々が色づく森の中でお話が進みます。おばあちゃんとの別れを経て、新たな出発をしようとする8歳の少女とその母。ふたりは心の底まで傷ついて、その哀しみを両手に抱えきれそうもありません。なのでお母さんはある行動をします。それによってか、特別な体験をします。

 もしかすると少女と母がもとのままの状態だったら、それぞれに壊れていたか、互いを傷つけることがあったのかもしれません。作品世界で起こることは母と娘が悲しみの壁を乗り越えるためのものだったのかなと思います。

 しかし堪えきれなくなる母の気持ちがむちゃくちゃわかるしました。でもそれよりパパやお母さんに甘える少女の気持ちもつたわって、今すぐ子どもを抱きしめたくなったな。