百道(ももち)から

考えの切れっぱし

ふいに

高史明『生きることの意味 青春編 第1部 少年の闇』を読んでいる。日本による朝鮮の植民地支配により、強制的に連れてこられた朝鮮人家族の次男・高史明さんの青春期を綴ったものだ。支配、貧困生活、戦中・戦後の不条理などを経験し、闇を抱え、捨てながら心身ともに成長する姿が描かれている。1974年に発行され、ベストセラーになったという『生きることの意味』の背景を詳しく描きだしたものだという。

日本による植民地支配について、私は正直、きちんと知っているとはいえない。そのことを如実に感じたのは、ドラマ『Pachinko パチンコ』を観たときだ。以来、常に引っかかっているものがあった。そして前述の本を読んでますますその怖さと無責任さ思い知った。ちなみにこの本を手に取ったのは鶴見俊輔の「文章心得帖」に引用されていたからだ。

今日ふと思いついたこれらのことをまとめるにあたり、ネットで検索をしてみた。そこで見つけた以下の記事に私の気持ちはそっている。

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侵略し、まるで自分の国のもののように支配する。これは今のロシアの蛮行とほぼ変わらない。ほんの何十年か前のことなのだ。

加えてもう一つ、印象に残ったことを書き留めておきたい。自暴自棄となった少年は刑務所で獄中生活を送るのだが、そこで広島出身の少年と出会う。原爆で家族と住む町を失い、原爆孤児となった彼の姿を回想して描かれていた。この箇所が頭から離れない。

『井上ひさしの言葉を継ぐために』

先日は岩波ブックレットの『井上ひさしの言葉を継ぐために』を読みました。2010年4月に井上ひさしさんがお亡くなりになりましたが、九条の会で活動をともにしていた方々が井上さんの作品や人となりについて語った記録です。こちらに出てくる方の何人かは鬼籍に入られており、その点でも貴重な記録です。

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巻末には『原爆とは何か』と題した井上さんの講演記録も収録されています。広島と長崎に原爆を経験を落とされ、今も苦しむ人がいる。日本に生まれた私たちとしては平和を守るのは宿命だと唱えておられます。平和主義を主とする日本国憲法は戦争はいやだ、というときに生まれた「前進」のときに生まれた憲法だということも。前進してくれた人々の思いを継いでいきたいし、当然、多くの犠牲者を生んだという歴史の上に成り立っていることも忘れてはならないと思いました。

多田治著『沖縄イメージを旅する』

多田治著『沖縄イメージを旅する』を読みました。

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仕事のおかげなのですが、年に何度か沖縄に足を運ぶようになって、4年が経ちました。離島も含めてさまざまな土地に立ち、その度に目を見開き、耳をかっぽじって物事を見聞きし、出会う方たちに話を聞きながら、どうにかして沖縄の実像をつかもうとしてきました。しかしそうしようとすればするほど沖縄という場所の大きさにガツンと頭を殴られてきたのが実情です。それほど沖縄という地は多面的で深く、とうていひとつのイメージでは捉えられないのです。むしろ回を重ねるごとにいっそうつかめなくなり、その深さにおののいています。

 

私が初めて沖縄を訪れたのは1996年の夏、SMAPコンサートがきっかけでした。夕方から始まるコンサートを前に、ホテルから近いビーチに行ってみると誰も泳いでいる人はいません。人でにぎわうビーチを想像していた私は面食らいました。日差しが強すぎるから地元の人は日中は泳がないとあとで聞き、リゾートやトロピカルなイメージとは違うなと思ったことを思い出します。そう、そのときの私が描いていたのは沖縄といえば「青い海に白い砂浜」のイメージ。CMイメージのまま、受け取っていたのでした。おそらく今でも多くの方がそうかも知れません。一歩進めてソーキそば、ゴーヤチャンプルー首里城といったキーワードにしたとしても、沖縄の本当の姿は見えてこないと、今の私はいえます。

 

それらを歴史とともに上手にまとめているのがこの本でした。「青い海に白い砂浜」のイメージに限らず、沖縄には内地(沖縄以外の日本国)からさまざまなイメージを植え付けられ、沖縄はその度に役割を演じてきたようです。1970年代の海洋博、2000年の九州・沖縄サミットなどもそうです。それが“イメージである”ことを知ってもらい、取っ払った上で沖縄を知ろうとすること。それが基地など沖縄が抱える問題を理解する一助になると私は思います。この本はその第一歩としてかなりおすすめの良書なのです。

俳優座 音楽劇『人形の家』

福岡市民劇場例会にて、俳優座公演の音楽劇『人形の家』を見てきました。私なんかはノーラなんなの!って感じで見ちゃうんだけど、市民劇場の大多数を占める年配のお姉様方はどう感じるのか、伺ってみたかったです。展開としてはノーラがはっと目覚めるあたり、あのあたりの転換が見事だなーと。歌唱も素晴らしかったです。
ノーラの場合は時代の風向きが大きかったと思うけど、支配的な夫の傘の中で生きる選択は今もあり、(否定はしません)。しかしこの辺はAppleTV+の『バッドシスターズ』がむちゃくちゃうまく描いてます。

映画『LOVE LIFE』

 この物語の鍵は『オセロ』かなと思いました。オセロといえば白黒。人の暮らしというのはオセロのようにはいかない、これが私が受け取ったメッセージかな。

 子連れで再婚をした女性・妙子が主人公なのだけど、近所に住む義理の父母とは決して良好な関係とはいえず、また夫の職場にいる元カノ、妙子の元夫など、普通で穏やかな団地というシチュエーションのなか、いろんなことが起きる。不安定な関係の上に、また不安定なことがおきて、上から一生懸命蓋をして、なかったことにしようとしても結局は溢れてでてきてしまう。

 うわぁ、大変ね、となるのだけど考えたらこれって普通のことで、ひと皮剥けたら誰もがこういうことを抱えている気がする。みんな善人じゃないし、いいひと風に折り合いがつけられるばかりじゃない。白黒ではなく、誰もがグレー。オセロのようにマウントをとりつつ、一方が一方を呑み込むことなんてできなくて、グレー同士で一緒に生きる。そんなに簡単に交わることはできないのだ。

 人は誰もが不完全。だから愛おしいんだ、なんてどこかで聞いたような言葉が頭に浮かんだとき、大林宣彦監督のあるエピソードを思い出しました。夫婦仲の良さの秘訣を尋ねられて、相手の欠点を愛することだとおっしゃっていたとか。不完全なところ、グレーなところを愛することから始まるのかも知れない。

 この物語で描かれるのは、結果ではなく、経過なのです。だから刺さる。

 余白のように感じる映像と、映画の発想の元となったとされる矢野顕子さんの曲『LOVE LIFE』の間奏を一緒に束ねて感じていたい作品でした。

映画『アド・アストラ』

 ブラッド・ピットをお目当てに観ました。父(母)親に強い影響を受けて大きくなった人というのは、こういうことに直面するのかな。そしてその後どうであったであれ、親を乗り越えていくことになるのだろう。

 父親役のトミーリー・ジョーンズが良かった。地球に帰還することを望まないところには、Space  Oddiityを思い出した。なぜ舞台が宇宙である必要があったのかということを深く考えていくと、この映画の違う見方が出てくるのかも知れないな。

ピンチ

 月に1回ぐらいは、こりゃあ、ピンチだなあと思う日がやってくる。原稿締め切りの直前。原稿にまったくタッチする前の、何も見えなくて恐怖っていう段階はその前。そこは通り過ぎて、蓋を開けてみたらあら、これ形になるのかしら、本当に、っていう段階。第3フレーズあたりだろうか。できるかな、どうかな、あ、もしかしてやっぱりできないんじゃないか!?と自分を疑う。疑うというか、最初からできるとあまり信じてなかったりもする。

 初めて取り組むこと、想定よりも自分の実力を上回っていたことに直面すると、深い川にもぐったときのようにアップアップと溺れそうになる。だからこんな状況は当たり前。アップアップを繰り返していかないと、次のもっと深い川にはもぐれない。アップアップでいいじゃないか。深い川底に潜っていって、良いものを拾ってくる、それぐらの余裕があってほしい。

 実際、やることは決まっているのだ。もくもくと手を動かすだけなのだ。決してあきらめないこと。食らいついて食らいついて、ワニのように原稿用紙に食らいついてやる。コントなどでいうところの、「置きにいく」はしない。最後まで食らいついてやる。